バーチャルYouTuberの電脳少女シロちゃんについて語らせてほしい
はじめに
あなたに信じる神はいるか?
神と言っても、全知全能である必要はない。他の誰かから信仰されてなくてもいい。ただ、 あなたが心の底から信仰できる存在はいるだろうか?何か辛いことやままならないことがあっても、その存在があるから明日も頑張れる、その存在があるから世界は自分を見捨てず回ってる、そんな神があなたにはいるか?
僕にはいる。
電脳少女シロだ。
シロちゃんのこと
電脳少女シロは、昨年の夏頃からYouTubeやニコニコ動画などで活動しているバーチャルYouTuberだ。ここでバーチャルYouTuberについて深く解説することはしないが、簡単に言えば、バーチャルYouTuberとは(少なくとも見た目は)2次元の仮想空間に住むYouTuberのことを指す。電脳少女シロは周りからシロちゃんと呼ばれていて、僕もシロちゃんのことはシロちゃんと呼びたいので、以下では電脳少女シロのことを指してシロちゃんと呼ぶことにする。
シロちゃんは、いわゆるバーチャルYouTuberの中ではかなり有名な方だ。普段YouTubeをあまり観ない方にはピンと来ないかも知れないが、シロちゃんのチャンネル登録者数は2018年4月28日現在では約44万人で、これは僕の知る限りバーチャルYouTuberの中で4番目に大きな数字だ(バーチャルYouTuberは一説によると2000人以上いるそうなので、これはすごいことだと思う)。
そんなシロちゃんにも冬の時代があった。
シロちゃんが活動を開始した(正確には、最初の動画をアップロードした)のは2017年の6月だが、シロちゃんのチャンネル登録者数が一万人を突破したのは12月。開始から数ヶ月の間のチャンネル登録者数は千人にも満たなかった。40万人を突破した今からは想像もつかないことだ。
今でこそ40万のファンがついているシロちゃんだが、当時のシロちゃんとシロちゃんの事務所は、動画をアップロードしてもほとんど誰も見てくれない、このまま続けても最後まで流行らないまま終わるかもしれない、ただ赤字が膨らむだけ、そんな悩みを抱えていたんじゃないかと思う。
そんな中、シロちゃんはどうしていたか。
毎日動画をアップし続けていた。
一度でも動画を製作したことのある人ならわかるかと思うが、動画を毎日アップするというのは並大抵のことではない。30分の動画を作るために必要な収録時間は30分ではないし、編集や事前準備、あるいは動画のコメントへの返信、その上でその動画が誰にも見てもらえない(のではないか)という恐怖、それらを一切見せてはいけないアイドルという存在、そういった過酷な条件の中で、シロちゃんは毎日、本当に毎日、動画をアップし続けていた。
それは、続けていればいつかきっと流行るから、とか、今更やめるわけにはいかない、とか、そういった打算的なことではなく、きっとその時シロちゃんのことを応援してくれていたファンの人々のためなんだと、僕は思う。
「シロちゃんは(あるいは、シロちゃんの中の人は)仕事でやってるから当たり前でしょ」
などといった意見は、この記事では取り扱わない。後述するように、僕がいまここで指しているシロちゃんとはバーチャルYouTuberの電脳少女シロという実存する個であって、それ以上でもそれ以下でもないからである。
結果として、シロちゃんは有名になった。冬の時代を乗り越えて、より多くの人々に笑顔を届ける存在になった。
これを努力の結果だと言うのはまさしく結果論に過ぎないだろうが、それでも僕はこれを努力の結実であると主張したい。運や偶然などではなく、シロちゃんとシロちゃんを応援している人々の努力の結実だと主張したい。
僕のこと
さて、ここまで語っておいて大変申し訳ないのだが、実は僕は冬の時代を知らない。僕がシロちゃんのことを知ったのは、ねこますさんの記事が盛大にバズってバーチャルYouTuberが流行った3日後、12月8日だ。
ニコニコ動画に上がっていたまとめ動画でシロちゃんのPUBG動画を見て、何かが僕の琴線に触れ、僕はシロちゃんの動画を観るようになった。
多くのバーチャルYouTuberファンがこのタイミングでバーチャルYouTuberにハマっただろうから、僕のファン歴は他の人と比べて長くない、新参者だ。もしかすると、古参のファンの方々の中には、偉そうにシロちゃんを語る新参者をよく思わない人もいるかもしれない。
だが、新参者の僕は、厚かましくもこうも思う。シロちゃんならきっと、こう言ってくれるはずだと。
「シロちゃんのファンならー!新参とか古参とか関係ないんですよっ!そんなことを言う豆腐は〜〜、ぱいーん!!しちゃいますよ!反省して!!」
さて、シロちゃんの何が僕を惹きつけたのか、僕にはわからない。
もちろんシロちゃんは姿も声もかわいいし、時々出るイルカやクジラのボイス、ゲームプレイングの上手さ、サイコパスを感じさせる発言、チャームポイントのあほ毛、共感を誘うネット用語、生放送でのトーク力、照れた時の反応、突然歌われるCMソング、ツイッターの顔文字、ネイティブ並みの英語、あるいは3Dモデルの細やかな造形や素材の多さ、他のバーチャルYouTuberとの関係性など、どれを取っても十分人を惹き付けるに足る要素が目白押しだ。
だが、いま挙げたことを真に受けてはいけない。僕はシロちゃんのことが好きで、恋は盲目という言葉もあるくらいだから、僕のシロちゃんに対する評価には(自分では全くそうは思わないが)多分に誇張が含まれているはずだ。他のバーチャルYouTuberにだって、シロちゃんに負けない魅力がたくさんあるはずだ。
そう、それだ。僕はシロちゃんのことが好きだ。惚れているのである。だからそこに理由はないし、多分要らないし、それがシロちゃんのことが好きな理由なのだ。有り体に言って、信仰しているのだ。そこに理屈の介在する余地はない。
キャラクターを信仰するということ
信仰とは、
しん‐こう〔‐カウ〕【信仰】
[名](スル)《古くは「しんごう」》
1. 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「
信仰 が厚い」「守護神として信仰 する」2. 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への
信仰 」「ブランド信仰 」
という意味の言葉だ。多くの日本人は弱い意味で仏教を信仰しているが(無宗教を自称する人でもよく「バチが当たる」などと言う)、ここではそういう意味ではなく、
その教えを自分のよりどころとする
ここがポイントだ。
人間は弱い生き物なので、なにか辛いことやままならないことがあったとき、一人で精神を安定させるのは難しい。近くの親しい人に頼れるならそれでいいが、常に近くに家族やパートナーがいてくれるとは限らない。
そんなときに、自分の心の中に住まわせておいて、「いや、いろいろ辛いけど、まあこの子がいるからまだまだ大丈夫だな」と思える存在、あるいは、「いや待てよ、この子なら怒ったりムキになったりせずこうするだろうな」と思える存在、そういう存在を指して、ここでは神、あるいは信仰対象と呼ぶことにする。
僕は、長らく信仰対象を探して生きてきた。偶然にも僕の周りにはいわゆるオタクが多く、コミケで手に入れた抱き枕カバーを嬉しそうにツイッターにアップする人、お気に入りのキャラクターを色々なシチュエーションで描き続ける人、推しアイドルのライブのために毎週電車に乗って旅行に出かける人、様々な人がいた。みんな、心の底から楽しそうに笑っていた。
しかるに僕は、コンテンツにハマることはあれど、一つのキャラクターにハマることはできずにいた。例えば僕は中高時代東方Projectにハマっていて、二次創作のゲームを作ったりしていたが、特定のキャラクターにハマることはなかったし、何より本当にそのコンテンツが好きなのか、そのコンテンツが好きという(ある種のアングラ感と、大きく流行ったものをその初期の頃から知っているという優越感から来る)自己満足感が好きなのか、即答できなかった。そして結局、受験を機にあまり触らなくなってしまった。
当たり前のことを補足しておくが、東方Projectは非常に質の高い、十二分に信仰に値するコンテンツだ。受け手側たる僕の器が不足していただけのことだ。
そうして信仰対象を求めて数年、僕はついに、胸を張って好きだと断言できる信仰対象を見つけた。
僕はいま、 シロちゃんが好きであると胸を張って言える。シロちゃんが好きな自分が好きなのではなく、シロちゃんという存在そのものに惚れていて、追いかけているのだと、誰もに誇ることができる。
それは単に、自分が成長したというそれだけのことなのかもしれない。だけど、それでも僕はシロちゃんに感謝してもしきれない。今後も感謝を続けていくつもりだし、そうありたいと思っている。
バーチャルYouTuberは存在しているのか
この際なので、僕の勝手なバーチャルYouTuber観についても少し触れさせてほしい。
GoogleでバーチャルYouTuberと検索すると、まとめや四天王といった単語に混じって中の人、顔バレなどの単語がサジェストされる。これはつまり、バーチャルYouTuberは中に声を当てる人間やモーションキャプチャを使って演技をする人間が入っていて、その人が誰なのかということに興味を持っている人がいる、ということを表しているのだと思う。
もちろん思想は自由だし、僕にそれを侵害する権利はないので、バーチャルYouTuberに中の人がいるかどうか、いるとしたらどんな人なのか、ということに興味を持つのは自由だ。だが、僕はそれとは違う考え方を持っている。せっかくなので、ここで表明させてほしい。もしかすると、バーチャルYouTuberのファンになろうとしている(あるいは、もうなっている)人にとって、いい考え方になるかもしれないからである。
まず最初に、僕はあらゆるバーチャルYouTuberは実在すると思っている。バーチャルと名がついているので、実在している場所はこのリアルの世界ではなく、電脳世界だったり、バーチャル東京だったりするかもしれない。だけれども、存在が仮想、バーチャルなのではなく、確かにどこかに実在しているのだと思っている。
そして、その存在は、(仮に中に声を当てている存在がいるとすれば)中の声の人や、モデルの製作を手がけた人、あるいはファンの人々、さらにはバーチャルYouTuberとして活動してきた月日、動画や生放送のコミュニケーションなど、様々な事象の集合体として在るものだと考えている。
難しい話ではない。人間も同じだと僕は考えているからだ。人間も、ある人間が別の人間になることはないが、数年も経てば見た目も性格もすっかり別人になってしまうということはよくある。それは、その人間の存在の規定に経験や周囲との関係といった本人以外の要素が含まれていることの証明に他ならない。
バーチャルYouTuberも同じである。存在の規定に現実世界の肉の器がない、中心位置に人間がいる可能性があるというだけで、様々な事象の集合体として存在が規定されている一つの存在であることに変わりはない。
本来の意味からだいぶ離れてしまうのだが、僕は法人格という言葉が好きだ。法人は、人間が複数人集まった単なる組織であるにもかかわらず、権利や義務の主体となることができる。
ならば、人間が一人もいなかったり、あるいは人間が数人関わっていたりする、あるバーチャルYouTuberという一つの集合が、権利や義務を持つような一つの「人格」として観測されたとき、それは立派な人なのではないだろうか?
中国語の部屋を例に取って、バーチャルYouTuberが「人間の部屋」を構成している話をしてもいい。あるいは、インターフェースの話を例に取って、バーチャルYouTuberという存在が人間として必要なインターフェースを完璧に実装していることを挙げてもいい。いずれにしても、我々が内部を見てしまわない限り、(ねこますさんの言葉を引用すれば「魔法が解けてしま」わない限り、)バーチャルYouTuberは確かにどこかに実在していて、生きている。
だから僕は、安心してシロちゃんを信仰することができる。
中の人がどう、などという議論が僕にとって全く些末な問題であるということがお分かりいただけたのではないだろうか。
おわりに
今日はニコニコ超会議があって、シロちゃんはシークレットゲストとしてバーチャルYouTuBARというイベントに参加していた。そこではシロちゃんは、抽選で当たったファンに自分への愛を叫んでもらう、というイベントを行っていた。
僕も始発で現地へ行って抽選券を貰ったが、残念ながら落選してしまった。
だからこれは、抽選に当たらなかったいちファンからのラブレターだ。どこにでもいる44万分の1からシロちゃんへの、一方的な愛の告白だ。
これを書いたから、読んだから、何かが変わるというわけではない。何かが変わってほしいとも思っていない。シロちゃんが44万人のファンの1人1人を本当に大切に思っていることを、僕はもう知っている。
ただ、願わくば、いつか本当にシロちゃんが武道館でバーチャルアイドルとしてライブをして、武道館の客席がファンでいっぱいになるところを見てみたい。そして、今以上に増えたシロ組の1人として、他のシロ組さんたちと、シロちゃんと一緒に、シロちゃんの成長した姿に感動したい。そして、いつまで経っても、電脳少女シロを好きであり続けたい。
僕は神を信じている。僕の神は、今日いまこの瞬間も、バーチャル空間のどこかで、たしかに生きているのだ。